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Ykiki Beat

When The World Is Wide
<Ykiki Beatの世界線>

When the World is Wide
Pヴァイン
PCD-93934
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00年代後半~10年代初頭、米ピッチフォークの台頭と足並みを揃えるようにして、世界有数の品揃えを誇るレコード店や、連日のように開催される海外インディ系のクラブ・イベント、ブログ/SNS文化の発達と連動しながら豊かな土壌を育んできた東京のインディ・ロック・シーン。そんな磁場から登場したこのYkiki Beatは、まさにその総決算と言えるバンドなのかもしれない。

都内の大学で結成された彼らは、チルウェイヴ~トゥー・ドア・シネマ・クラブ的な雰囲気もあった初期の活動を経て、より王道のギター・ロック路線を開拓した14年の“Forever”を発表すると一躍話題に。そしてこのデビュー作『When The World Is Wide』では、さらに80年代のUKポストパンク~ニュー・ウェイヴ的な要素を取り込んで、流暢なブリティッシュ・アクセントでここ何十年かの英米のロック/ポップ史を自由に横断する、これまで以上に豊かな音楽性を手に入れている。

今回はそんな5人と共に、千葉某所へ。スクリーンに洋画を投影した夜の映画館、アメリカンなハンバーガー店などを巡りながら、彼らがどんなきっかけで英米のカルチャーを発見し、バンドを結成し、デビュー作を完成させたのか、各メンバーの幼少期から現在までを振り返ってもらいました。

今の彼らにとって海外とは、憧れの対象というよりも、活動可能な大きな音楽シーンのひとつといった感覚のはず。実際、バンドは国内のツアーを終えると、その後は海外へ。5人を取り巻く世界は、今まさに大きな広がりを見せているところです。

ザ・ヴューの音楽を知った時は本当に衝撃的で、
自分の将来に影響するのが分かるぐらいだったんです。
「俺がやりたいのは、もっとこういうものなんだな」って。

Ykiki Beat - The RunningYkiki Beat - The Running

――まずはひとりひとりのリスナー遍歴を話してもらえますか? どんなメンバーが集まってYkiki Beatになっているか、ということを詳しく教えてもらえると嬉しいです。

秋山(Vo. G) 物心つく前なんですけど、父親はビートルズとかイーグルスとかが好きで、“ホテル・カリフォルニア”しか聴かないみたいな感じだったんですよ。あとは親の実家のある沖縄に帰省するたびにアメリカンテイストの店が結構あって、色んな音楽が流れていて。自発的に音楽を聴く前に、そういう時期があったんです。でも、自分で音楽を聴きはじめた時はそういうことは全然関係なくて、日本の音楽から聴きはじめた感じですね。それで中学の友達とバンドを始めるんですけど、その頃から、ザ・ヴューとかストロークスにはまって。邦楽から洋楽に入りたての頃は、ブリンク182とかリヴィング・エンドとかを聴いていたのですが、しっくり来た感じはなくて。その後、楽器屋のCDコーナーでザ・ヴューを聴いて、難しいことはしてないけど、それが逆によさとして成立する音楽もあるんだなって感じて。それで解説を読んだら、彼らを発掘したA&Rがリバティーンズやストロークスを見つけたことが分かって、それでストロークスとかも聴くようになった。その時期から、音楽だけじゃなくて映像やアートワークも(日本の音楽と)「何か違うな」って感じ始めて、iTunesでストロークスの“12:51”のMVを買って、iPodでずっと観てました。

The View - Superstar TradesmanThe View - Superstar Tradesman

The Strokes - 12:51The Strokes - 12:51

秋山 だから、最初は日本語で曲を作ろうともしてたんですけど、バンドをやるってなった頃には海外の音楽に夢中になってて、その時には日本語で曲を書くっていう発想がなかったんですよ。

――ああ、なるほど。曲を作る上で、実際に大きな影響を受けたアーティストはいますか?

秋山 やっぱり、大きかったのはさっき言ったザ・ヴュー。彼らを知った時は本当に衝撃的で、自分の将来に影響するのが分かるぐらい大きな出会いだったんです。「俺がやりたいのはもっとこういうものなんだな」って分かったというか。今聴いても、当時の新鮮な驚きを思い出しますね。でも、その時期その時期で重要なバンドはいるし、重要じゃないものでも、いざフレーズを弾いたりしてる時に「ああ、あれを聴いてたからかもな」って思うし、そういうことって限定できるものじゃないと思うんですけど。

嘉本(G) 僕の場合は……。

秋山 Dragon Ashの話からすれば?(笑)。

嘉本 (笑)最初は、それこそ秋山みたいに、親が聴いてたビートルズとかが家で流れてたのを覚えてますね。で、小さい頃、『モンスターファーム』っていうゲームがあったんですけど(CDを入れるとそのCDだけのモンスターが出来る)、そこに親のCDを色々入れてたんです。

――最初はモンスターを作るために色んなCDを手に取っていた、と(笑)。

嘉本 家にあったビートルズとかR.E.M.とかをいっぱい入れてて(笑)。その後ちゃんと音楽を聴きはじめたのは兄貴とか姉ちゃんの影響が大きくて、最初はリンキン・パークとか、あとはゼブラヘッドとか、ああいうラップが入ってるようなもの。その流れで、僕らの兄弟の中で唯一受け入れられてた日本の音楽がDragon Ashだったんです。そこから今の音楽性に繋がってるものというと……アークティック・モンキーズとかですね。最初は「こんな古臭い音楽聴かねえよ」って感じだったけど、1曲だけ、“Mardy Bum”がすごい好きで。それでアルバムを買って、リバティーンズやストロークスにも手を出したんです。

Arctic Monkeys - Mardy Bum (Glastonbury 2007)Arctic Monkeys - Mardy Bum (Glastonbury 2007)

――今の自分のプレイに影響を感じるものというと、何か思いつきますか?

嘉本 自分のプレイにっていうのは難しいですけど、ギターを始めたばかりの頃に、偶然深夜のTVでホワイト・ストライプスのライヴ映像を観たのはデカかったですね。……影響が出てるかはわからないけど、そういう変な音を出したいってことはつねに考えてると思うし。

野末(Key) 僕もカモちゃんと一緒で、兄がいるんで、音楽ってほとんど兄貴の影響なんですよ。父親と母親はあまり洋楽を聴くという感じでもなくて……父親はジャズとクロい音楽は聴くんですけど、基本的に両親ともサザン・オールスターズとかKiroroばっかり聴いてるような感じで。だから家にあるCDとかも、クロい音楽かKiroroか、みたいな(笑)。

――ギャップ……(笑)。

野末 (笑)あとは……宇多田ヒカルだ。クルマの中ではつねに宇多田ヒカル。それで、小学校5年生ぐらいの時に誕生日プレゼントで母親からCDプレイヤーをもらうんです。でもCDとか全然持ってなくて、小学校1年生ぐらいの時に買った『だんご3兄弟』しかなかった(笑)。そこで7歳離れてる兄に「何かない?」って訊いたら渡されたのがオアシスのセカンド(『モーニング・グローリー』。

Oasis - Don't Look Back In AngerOasis - Don't Look Back In Anger

野末 “Don't Look Back In Anger”を聴いて、「ヤバい。何じゃこれは!」ってなって。「他の曲も聴きたい」って言ったら、ビートルズを渡されて、リバティーンズも聴きはじめて、小学校6年生の時にニルヴァーナに超ハマりました。

秋山 早いな(笑)。

野末 カート・コバーンのヴィジュアルが好きで、「なんてイケメンなんだこいつは」っていう(笑)。ホワイト・ストライプスも超好きだったから、初めてギターを弾いたのは(ニルヴァーナの)“Come As You Are”と、ホワイト・ストライプスの“Seven Nation Army”。そんな風にずっとギターで、このバンドになってからシンセを始めたんで、影響を受けたシンセ・プレイヤーって言っても全然で……(笑)。

秋山 最初は嘉本もシンセをやってたんです。

野末 でもライヴも上手くいかなかったんで、シンセを一台にして。嘉本はギターが弾きたいって言ってたんで、ギターに変わって。

加地(B) 僕の場合は、みんなみたいに両親とか家族が洋楽を聴いてる、みたいな感じではなかったですね。BUMP OF CHIKENが好きで、コピー・バンドを始めようと思ったんですけど……。それが中3の終わり頃。その後、高校に入ったら軽音部に入ろうかなって思って、その話を友達にしたら、楽器の上手いお兄ちゃんを紹介してくれたんです。5~6歳年上の面倒見のいい人で、ベースを教えてくれるかたわらCD屋行こうよって言ってくれて。で、たまたま試聴機でクークスのセカンドを聴いたんですよ。

秋山 意外(笑)。

加地 でも、裏声がなければもっといいなと思って。その人に「割といいんですけど何かちょっと」って話したら、ストロークスのファーストを紹介してもらって。そこに初回限定版みたいなのでDVDがついてた。洋楽はその時点でニルヴァーナとかも聴いてたんですけど、本当にハマったのはこれでしたね。見た目とかも含めて好きになった。古い音楽を現代的にやってるのがかっこいいな、って。

The Strokes - The Modern Age (MTV 2$ Bill Uncut 2002)The Strokes - The Modern Age (MTV 2$ Bill Uncut 2002)

加地 でも、僕は当時流行ってたものより、昔の音楽を掘ってたと思いますね。スミスとか、80年代の音楽にハマってたりしてて。自分のプレイに影響を与えたものっていうと、音質とかの面ではやっぱりポストパンク。あとはサークルで……。

――みんな同じサークルだったんですよね?

秋山 メインで入ってたものは違ったりするんですけど、サブも含めると同じだったんです。

加地 その先輩とかにジェイムス・チャンスを教えてもらったりもしたんですよ。

関口(Dr) 僕は小4ぐらいまでピアノを習ってて、王道クラシックばかり聴いてたんです。その後塾に通い始めて辞めちゃうんですけど、高校の時に吹奏楽部でフルートを始めて。そこでコードとかも勉強して……あとは当時一番仲良かった友達がドラマーだったんで、高3ぐらいに、受験を放り出しつつドラムを始めました。吹奏楽部時代、フルートの隣がずっとパーカッションで、ドラムを叩いてみたいって気持ちはずっとあったのかもしれないですね。でも直接のきっかけは友達で、自分もハマってすぐに電子ドラムを買ったんです。ディジー・ガレスピーみたいなジャズとかを聴いてました。でも同時に、レッチリのチャド・スミスがめちゃくちゃ好きで、“Dani California”で8ビートをずっと練習したりして。そこから僕もミクスチャーにハマって、レイジとかを聴きはじめて。その後大学に入って、Ykiki Beatと共に、僕の音楽観が広がっていったというか。

――海外のものを好きになる理由って、別に音楽だけではなくて、映画やアート、文学みたいなカルチャー全般の雰囲気も関係したりすると思うんですけど、そういう意味で、好きな映画みたいなものもありますか?

秋山 僕は寂しい映画が好きですね。後で考えさせられる、みたいな。これはそんなに寂しい感じはないかもしれないけど、最近だと『ウォールフラワー』とか。人によっては蒼すぎるって言うかもしれないけど、俺はすごい好きなんです。音楽もフィーチャーされてる映画だし。

映画『ウォールフラワー』予告編映画『ウォールフラワー』予告編

嘉本 自分で言うと、ニルヴァーナを好きになったのは映画『ラスト・デイズ』を観たから。中3なんですけど、あれを観たりとか……『コーヒー&シガレッツ』にもホワイト・ストライプスが出てますよね。だからガス・ヴァン・サントとか、そういう映画は好きでした。

――野末さんは映画、すごく詳しいんですよね?

野末 いや、そんなことないですよ(笑)。映画は中学生の時はジャッキー・チェンしか見てなかったですね。他には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか。その流れで今もハリウッド映画は好きなんですけど、高校生ぐらいからは、いわゆる映画好きが好きそうなものも観るようになりました。でも、基本的に今もアホで明るい映画が好きなんです。最近だと『初体験 リッジモントハイ』とか。80’sの音楽を好きになったきっかけも映画だったんですよ。

秋山 『マッドマックス』とか?

野末 いや、あれは言うほど80’s音楽じゃないんだよね。それより『バッド・チューニング』とか(リチャード・リンクレイター監督による76年の学校を舞台にしたスクールムービー)。

『バッド・チューニング』予告編『バッド・チューニング』予告編

ちょうどYkiki Beatを始める頃って、フォスター・ザ・ピープルとかが、
インディだけどメジャーのチャートに入る、みたいなことが起きてましたよね。
スカイ・フェレイラも、メジャーっぽい売り出し方だけど音はインディ、みたいな。
そういう、バランスが面白い音楽が増えてきた感じがした。

――そんな5人が同じ大学で集まってバンド・メンバーになるには、何か決め手のようなものがあったと思うんですが、今思うと、それって何だったと思いますか?

秋山 僕らの場合、好きな音楽が一緒だったのはもちろんですけど、それだけじゃなくて、嫌いな音楽も似てたんです。たとえば、日本で起きてること……みんなが聴いてるものに嫌気がさしてたりとか。それこそニルヴァーナを聴いたり、ポップ・パンクっぽいところを通りながら結局00年代UKっぽい音楽に辿り着いたのもそうだし、そういうのが同じで。その上で昔の音楽を聴いていったり……ってところも同じなんですけど、そのうえ自分たちが寄せ付けない音楽も同じだった。そうじゃなかったら「ああ、これも許しちゃうんだ」ってことになってたと思うし、これって結構大きな要素だったと思うんですよ。

――具体的に、「こういうバンドにしたい」という話もしたりとか。

秋山 結構してました。それこそシンセを入れるってこともそうで。僕は高校の時から4人組のギター・ロック・バンドをやってたんですけど、その時から、4人編成のシンプルなギター・ロックにシンセが加わった、キラーズみたいな音楽をやりたいと思ってたんです。で、ちょうどYkiki Beatを始める頃って、フォスター・ザ・ピープルとかがインディだけどメジャーのチャートに入る、みたいなことが起きてましたよね。その後だとスカイ・フェレイラも、メジャーっぽい売り出し方だけど音はインディで、プロデューサーも両方の中間にいたりする、みたいな。そういう、バランスが面白い音楽が増えてきた感じがしてて。そういうことは話してたんじゃないかと思いますね。実際に出来る領域も限られてたし、いざやってみたらそうはならなかったんですけどね。

The Killers – HumanThe Killers – Human

Foster The People - I Would Do Anything For YouFoster The People - I Would Do Anything For You

Sky Ferreira - You're Not The OneSky Ferreira - You're Not The One

野末 でも、自分の中では完全にフォスター・ザ・ピープルだったけどね。フォスター・ザ・ピープルとかウォッシュト・アウトとかのイメージ。

Washed Out - BelongWashed Out - Belong

――Ykiki Beatは、最初期はチルウェイヴっぽい雰囲気もありましたよね。当初はその辺りの音楽からの影響もアイディアのひとつとしてあったということですか?

秋山 まぁ、最初はその時に面白いと思っていたものを遊びでやってただけだったんです。初めのスタジオは野末が来てなくて、4人で入ったんですけど、担当楽器も今とは違ったし、最初なんで当たり前っちゃ当たり前なんですけど、何かしっくりこなくて。シンセも持ってないからLMC(明治学院大学愛好会軽音楽研究部)にあるキーボードを使って、鍵盤の音に、ギターがいない状態でドラムとベースと……みたいな意味わかんない感じで。セッションも出来ないし、“何もない”って時期が結構長かった。

関口 そもそも僕なんて、それまでバンドをやったこともなかったんです。サポートとかはやってましたけど、サークルの活動だったし。だから「新しいことが始まる」って感じしかなかった。

嘉本 とりあえず「ライヴやろっか」って感じだったよね。夏前とか。

――その頃からオリジナル曲ですか?

秋山 もちろん自分たちの曲をやる前提での話だったんで、少しカヴァーもやりながら、基本はオリジナル。最初は“London Echoes”ですね。

――じゃあ、その当時のバンドに向かうモチベーションは、「みんなで集まって音を出すのが楽しい」くらいのものだったんですか。

秋山 みんなそれぞれ別にバンドをやってて、俺の場合はバンドが高校で終わっちゃって、1人で曲を作ってて、それを発表するにはバンドが必要で。せっかく同じ大学に通って、同じような音楽を好きな人たちがいて、スタジオも使える環境にあるなら、それでやんないのはもったいないな、ってことだったと思います。絶対にやろうってわけでもなかったし、ダメだったら辞めようとも思ってなかったし、最初は軽い感じでした。

――その頃から英語詞で、日本語詞の曲もやろうという話は出なかったんですか?

野末 それはなかったですね。

――そして、世界で活動したい、ということも共有していたわけですか。

秋山 海外に行きたい、というのはみんな共通してたと思います。自分自身は高校2年の時にバンドを始めて、当時はMyspaceとかだったんですけど、音源を色々アップしていて。特にその頃は、日本の音楽って全然ダメだって思ってたんですよ。少なくとも自分にとっては。海外の音楽が魅力的に見えていて、いつかそこに行きたいって思っていましたね。ただ、英語詞でやることは「世界で活躍する為」ではなく、ただ単純に英語のフィーリングが好きだったからです。世間の評価のために英語を選んだわけではありませんでした。仮に英語を話す民族がイギリス国内だけだったとしても、きっと僕らは英語の音楽に惹かれていたと思います。もちろん、そういう「もしも」はかなりナンセンスですが。

最初に持っていたバンドのヴィジョンも、既に別のものに置き換わってる。
初めはブッキング以外でライヴが出来るなんて思ってもいなかったし、
海外でライヴをできるとも思ってなかったし……。
でも、それって始まりでしかなくて、ここからいかにいい音楽を作るかだと思うんですよ。

――じゃあここからは、デビュー・アルバム『When The World Is Wide』の収録曲について話してもらえますか。まずは1曲目の“Running”について。

Ykiki Beat - The RunningYkiki Beat - The Running

加地 これは結構最後の方に出来た曲だったよね。

野末 デモを作ったのは最後じゃない?

秋山 プリプロの時は、2年ぐらい前にBandcampで出した音源(『London Echoes』:13年)からも曲を補てんして、そこに新曲を加えてやろうと思ってたんです。だからアレンジもその形で進めてたんですけど、途中であんまりこれを残したくないと思って、本番のレコーディングをしながら曲を作り直しました。既に出来ている新曲から優先して録音を進めて、その間に新曲を作って……最終的に“Forever”以外はほぼ新曲になったんで、レコーディング中に半分ぐらい新曲を作った、って感じですね。怒濤の期間でした。

加地 で、“The Running”は終盤のレコーディングが詰まってた時期に出てきたんですけど、聴いた時に「おっ、出てきたな」っていう感じがあって。

秋山 どの曲もそうですけど、メロディが大事で、曲を裸にした時にもそれが誰だか分かるものを作りたいんです。少なくとも自分自身ではそう思っていて、この曲も全体のイメージ的にはヒリヒリしたものにして、同時にメロディも立たせたいと思って。サビがない構成だし、EPの曲とは違うものになってて……。だから、これまで自分の中にあったルールとは違うものを作ろうと挑戦したというか。

野末 そのルールを崩してる曲だよね。

加地 ベースで言うと、途中で80’sっぽいところが出てくると思うんですけど、別に音自体は高級に作られているわけじゃないのに、曲の構成とかがポップに作られてる、みたいな。

――アルバム自体、以前よりも80’sの影響がかなり強く出てきています。

秋山 そうですね。今回80’sの曲を参照してる部分は間違いなくあると思います。

野末 80’sの要素もあって、同時にもっと最近の音楽に通じる部分もあるっていうか。

秋山 で、次の“Modern Lies”は、同じ意味でこれまでの自分たちと一番離れた曲だと思うんです。サビがなくて、リズムを立たせるというか。言葉もビートにフォーカスして、つまり、逆に言えばメロディから焦点を外して、曲の中で質感みたいなものが浮き上がるようにしたかった。

――自分の引き出しが増えたという感覚ですか?

秋山 もともとあった引き出しに気づいたんだと思いますね。バンドを始めた頃に持っていた限られたビジョンから、みんなで一緒に演奏してきて、もっとこのメンバーで演奏してよくなる曲をやろう、っていう風に切り替わってきた部分があって。それこそ、プリプロの段階から曲を変えたこともそうだし、まだ変わってる途中だとも思うんですけど、俺は今回のアルバムでより自分たちの内側を見たって感じがしていて。やりたい音楽を探す作業が出来たというか、その表れの曲だと思うんですよね。

加地 僕はポストパンクっぽいベースをがっつりやらせてもらいました。

――誰か想定していたアーティストはいたんですか?

加地 うーん……。サヴェージズとか、アイスエイジとか。

秋山 アーティスト名を出すと先入観が生まれるから、あまり明言したくないんですけどね。でも、(アイスエイジを筆頭にした)デンマークのバンドには、確かに刺激を受けた部分はあります。最近の音楽の中でも、彼らには自由を感じたんですよ。

Iceage - Youre BlessedIceage - Youre Blessed

――あの人たちの場合は、学校をサボって仲間とつるんで、酒を飲んで、音楽を作って、みたいな感じですからね……。

秋山 でも音楽に対しては真面目、っていう(笑)。僕自身は、今の英米の音楽って、自分が最初に発見した時のように「こんな音楽があるんだ」っていう風に次々に発見できるような感じでもなくなってきて、みんな同じような音楽をやってる印象が強くなってるんです。それは自分が変わったのか、時代が変わったのか分からないんですけど。でも、デンマークのバンドには違うものを感じたんですよ。

――次は“Never Let You Go”。

秋山 ベースになるトラックを作ってた時は、インディR&Bっぽい音をバンドに落とし込んでみたいな、って考えてたとは思いますね。でも歌を練っていく中で、サビの開けていく感じとかが加わって、またそこからも変わってきたというか。それで結局、自分の中ではポストパンク・リバイバルの頃のバンドの影響が出たのかな、という気はしますね。たとえば自分たちはインク.みたいなバンドじゃないから、最初に作ろうと思っていたものからどんどん変化していったというか。

inc. - 5 daysinc. - 5 days

加地 結構不思議な曲ですよね。Aメロとサビのイメージがだいぶ違って、楽器の弾き方もだいぶ変えてるんですよ。

野末 この曲はライヴでもちょっと前からやってて、イメージ通りにレコーディングが進んでいった感じだと思います。

関口 ドラムで言うと、リズムが際立ってるから、叩くときに気を遣う曲。Aメロでは僕の中にはあまり引き出しがないR&Bっぽい感じを出しながら、サビのポストパンク・リバイバル的な方向にズムの気持ちよさを失わずに突入するっていうのが難しかった。

秋山 次の“Dances”はもう、ロックじゃなくてポップスの方の80’sですよね。『ベストヒット USA』で、James Brownの何かの曲だったと思うのですが、小林克也さんが2つのコードでループしてるものがヴォーカルと重なって宗教的な響きが生まれる、高揚感が出るみたいなことを言ってて。僕自身、繰り返される言葉にはそういうものがあると思ってるし、“Forever”とも似た、自分の好きなパターンなんです。だからさっきの“Modern Lies”とかとは違って、構成がシンプルな分、メロをどう立たせるかってことを考えた曲ですね。ラジオとかでも、この曲と“Forever”と“The Running”とかをかけてくれることが多いんで、ある程度はうまくいったのかな、と思うんですけど。

――実際、アルバムの中でもビッグチューンというか、かなりポップな曲ですよね。

秋山 そうですね。これはたぶん“Never Let You Go”と同じで、ライヴでも少しやってたから、みんな向かうべき方向が分かってたんです。

――そして、次が先行シングルの“Forever”。バンドの認知を拡大するきっかけになった曲でもあるだけに、もちろん収録されるとは思っていたんですけど。

Ykiki Beat - ForeverYkiki Beat - Forever

秋山 でも、最初は今回のアルバムには入れないつもりだったんです。自分たちの中でのバンド像もどんどん変わってきてるし、7インチも出してたんで、それでいいかなって思って。でも出来た曲を並べてみた時に、この曲を入れた方がバランスが取れると思い直して。それでアルバム用にミックスを変えてもらった感じですね。バンドの短い歴史の中でもきっかけになった曲だし、この曲のおかげで今やっている新しいことができるようになった部分もあると思うし、特別な曲なのは間違いないんですけど。

野末 この曲は、最初はデモ音源はもっとフワッとしてて、秋山もファルセットで歌ったりしてたんで、違う感じの曲だったんですよ。でも、録音するためにスタジオに入った時にパワーを感じたというか。

秋山 ライヴでやっても、お客さんの反応が違う感じがしたよね。

関口 うん。それに、この曲は初めてバンドとして全員で録音した曲でもあるんです。

秋山 この曲までは(スタジオ音源は)基本自分が全部演奏して録音してたんで、みんなにとっては新しい経験でもあったと思います。

野末 カモちゃんはギター、大変だったよね(笑)。

嘉本 辛くて辛くて……。

関口 (笑)この時にレコーディングしながら曲を作った経験があって、今回のアルバムではちゃんと事前にプリプロしよう、という話になったんですよ。

秋山 まぁ……全部新しい曲でやったから、結局ほとんど使わなかったけどね(苦笑)。

――じゃあ、バンドとして初めて録音した曲が代表曲になったという感じだったんですか。“All The Words To Say”はどうですか?

秋山 曲のデモが出来たのは最初の方だったんですけど、完成したのは一番最後だったっていう。今回のアルバムは全体のテーマがあったというよりはそれぞれの曲に世界観があってそれを集めたという感じですけど、バラードなんで一番歌い込んでるし、“Never Let You Go”と一緒で歌詞の分量も多いんです。この曲と次の“Winter”はアコースティック・ギターを使ってます。あと、この曲は伴奏と歌を何となくのイメージでしか作ってなくて、ブリッジが出来てなかったから全員で共有したりして。みんなが考える余地がこれまで以上にあった。この曲のレコーディングを通して、今後みんなが自分の楽器をどうしていこうというのを、体で感じられたんじゃないかなって思うんです。それって僕らにとっては必要な作業だったな、と思うんですよね。

野末 だから、最初は、みんな色々迷ってました。加地も何パターンか持ってきたりしてて。それで、最終的にはこんな感じに落ち着いたんですよ。

秋山 最初はもっとリヴァーブが効いた感じで、それこそチルウェイヴっぽい雰囲気もあったよね。それがみんなでやっていくうちに変わってきたというか。

野末 うん、メロディも変わっていった。

秋山 そうそう。イントロの導入もリフも、メロディもそうで、出てきたフレーズに合わせて音を変えて、それがハマらないからメロディを変えて、また戻したりして。一旦は、もうこの曲を入れるのはやめようってことになったぐらいだったんですけど、そうやって色々やるうちに、ひとつの形に落ち着いたというか。“最初に行こうとしてた場所じゃないところなのに、ちゃんと落ち着いた”っていう感覚があって。しかも、その過程で色んな工夫が出来たんです。この曲のサビから2バースに繋がる時に変なシンセの音があるけど、それって今回のアルバムの中で一番工夫された音だと思ってて。他のバンドがやってない、オリジナルの音が入れられたかなって思うんですよ。

加地 終盤はずっとこの曲をやってたよね。

――それで完成するのが一番最後になったんですか?

秋山 そうなんですよ。でもこの作業は、すごく大事だったと思います。この作業を通して、楽曲制作に向き合う方法や、アレンジのアイディアをぶつけて一つの形にしていく感覚をバンドとして学べた気がしています。

秋山 次の“Winter”は最近のUSインディの雰囲気が好きで、それを自分たちなりにやろうとした曲というか、フロアタムをループさせる枠組みを作って。“Dances”よりももっと繰り返しの陶酔感があるかもしれないですね。サビでもすごく楽器が変わるわけじゃなくて、メロディが変わっていく後ろでリズムは職人的にずっと同じフレーズが続いてて。ただそれが繰り返されることでトランス状態になるというのを、他の曲より原始的な形でやってみたんです。ビートもそれこそ、ロックとかより前からあったんじゃないかってぐらいのビートで。

加地 ベースラインもめちゃくちゃ考えたんですよ。秋山の言う陶酔感みたいなものを考えると、今のUSのサイケとかって単純な繰り返しから来てるというか、そういうビートが失われないように、引き算を考えつつノリを出す、ということを意識しました。

嘉本 ギター・ソロも大変だったんですよ。秋山に「太ったメキシコ人みたいなソロ弾いて」って言われて……。

――(笑)。

嘉本 座って弾いたり、立って弾いたり、秋山に「それじゃダメ」「本当にちょっとだけタイミング変えて」って言われたり……。「じゃあお前弾いてよ」っていう(笑)。ちょっと諦めかけた曲でした。

秋山 (笑)“All The Words To Say”以外は基本的に頭の中にイメージがあって、少なくとも自分の作った曲に関しては、結局そこに追いついてもらうか、それ以上のアイディアを出してもらうか、ってことなんです。中でもこの曲はギター・ソロが一番大事で、「それが上手くいかないなら出来ない」ってぐらいだったんで、やってもらえてよかったですね。

――そしていよいよラスト曲、“Vogues of Vision”です。

秋山 自分としては、このアルバムの顔になってほしい、っていう曲ですね。歌詞と曲のイメージの整合性みたいなものが一番うまく行った曲。尖ってるんだけど、メロディもあって、感情的な部分があって、自分がずっと目指してた質感がやっと形になった感覚があったんです。歌詞も、ミニマムなんだけどイメージが想起できるような単語をチョイスして、音も説得力のある音に出来たかなっていうのを自分でも感じたんで、この曲でアルバムが終わるっていうのはすごく綺麗な流れじゃないかなって。

関口 ライヴが楽しい曲だよね。

加地 一番最後のパートが好きなんですけど、最初秋山くんが何て言ってるか分からなかったんですよ。歌詞をみると変わった発音をしてるんだなって思って。でもすごいハマってて、いいなって……。(みんなを見回しながら)……えっ?

野末 今のカチグラム(#kachigram)だったな(笑)。

――『When The World Is Wide』というタイトルの由来は?

秋山 歌詞は自分が全部書いたんで、タイトルは自分で決めた方がいいと思って、色んな案を考えました。何の意味もないのは嫌だし、意味があり過ぎても嫌だし、字面も大事だし、色々考えて。でも、このタイトルならつける意味があるんじゃないかな、って思ったんです。『When The World Is Wide』って、略すと「(https://)www」になるじゃないですか。だからインターネットの比喩みたいになってて。

――ああ、そういうことだったんですか。

秋山 自分の中では、インターネットというのはこれまで生活してきた中でかなり大きな役割を果たしてきた実感があったんで、その暗喩になってるんですけど、ここには同時に別の意味もあって。「ワールドワイドウェブ」って聞くと、インターネットというものが色んなものを繋ぐ、ポジティヴなイメージがあると思うんです。だけど、自分自身は本当にインターネットが出来たことで、世界が広くなったとはあまり感じられてない部分もある。というのも、自分の親の世代とかお爺ちゃんの世代とかが、人生を振り返って色んな話をする時に、もっとミステリアスな状況でそれに挑戦してたっていう印象があるんですけど、じゃあ俺はどうかって考えると、30代、40代になったらどうなってるかももう考えてるし、何があってもあまり驚かないと思うんですよ。初めてアメリカに行った時も、TVやインターネットで既に疑似体験していたからだと思うんですけど、初めて行った感じがしなかった。

――なるほど。

秋山 本当は、もっと驚きたかったんです。でも実際はそうじゃなかった。そういう意味で、インターネットは世界を広くしたっていうけど、人の心を狭くした部分もあるんじゃないかなって思ってて。昔はギリシャ人ってどんな人か分からなったけど、今はFacebookを開けばそこにいて、みんなマクドナルドを食べて、Googleで何かを検索して、YouTubeで音楽を聴いてるっていう。みんな同じ文化で育ちすぎてる感じがして、それに対するアンチというか……。自分もインターネットがある生活からは逃がれられないんで、これって自分に対しての疑問でもあるんですけどね。だから、今の世代――20代って意味じゃなくて、この時代を生きているすべての人たちに関係することだし、今回歌詞のテーマとしても、寂しさとか、時間が過ぎて変わってしまうことについて歌ってる部分があるんで、そういうものをまとめられるいい言葉なんじゃないかと思ったんです。

――バンドとしても、メンバーそれぞれで考えても、きっと大きな変化を続けているところだと思います。昔と比べてみた時に、変わっているところと変わっていないところをそれぞれ教えてもらえますか。

秋山 変わってないのは、メンバーが変わってないこと(笑)。それぞれ変化しながらも、全体としてはひとつの方向に向かっていて、それはこれからも変わってほしくないと思うところです。何かひとつのことを本物にしていくにはそれぞれが犠牲を払う必要もあるけど、それでメンバーが変わってない、っていうのは大きいと思う。変わったことは……一般的にはいいと思われていても、自分たちに置き換えてみるとそうじゃないってものが分かってきたことですね。最初にバンドが持っていたヴィジョンみたいなものも、既に別のものに置き換わってる。実際、初めはブッキング以外でライヴが出来るなんて思ってもいなかったし、そこから(メンバーを共有するDYGLでの活動も含めて)海外でライヴをできるとも思ってなかったし……。でも、それって始まりでしかなくて、ここからいかにいい音楽を作っていくかだと思うんですよ。自分は、中途半端なものを作って名前が売れるんだったら、まずは自分の納得できるものを作りたい。しかも、今はどういうものを作れば納得できるかということが、徐々に分かってきてる感じがある。だから……バンドを続けてきて、結局は自分のことを知ったのかもしれないですね。最初は何も分かってなかった。

野末 あとは、ライヴハウスに行く回数が増えて、バンドに関わってくれる人の数もかなり変わってきて。聴く音楽も変わったし、音楽が生活の一部になったっていう感覚はある。

秋山 うん。でも、聴き方も関わり方も変わってはいるけど、音楽を聴いて「これ好きだな」って思う時の感じって、やっぱり変わってないですよね。自分の中では音楽が聴こえてきて、次の瞬間に「これすごい好きだな」って思う時の感覚はずっと同じっていうか。それって理屈じゃないし、全く違うジャンルだったとしても、これはずっと変わらないんじゃないかなって思いますね。